天網恢恢疎にして漏らさず

嫌な事件だ。山口県光市の母子殺人事件。

なぜ嫌なのかと言えば、司法の精神における「法の正義」が正しく行われていたなら遺族がまた法廷に引っ張り出されて、悲しみや憎しみを新たにする必要がなかった筈だからであり、そういう意味で名目上の無期懲役と死刑の間の「終身刑」がない日本の司法制度にやるせなさを感じるのが第1点。(法制審議会が法務大臣の諮問によって答申すれば刑法の改正は可能なはずなのだが)

「死刑反対」という一点のスローガンだけで集まった「人権派弁護団」が被告の「元少年」を死刑回避のためにだけ扱い、法廷戦術だけで遺族感情を無視し続ける事。
(どうせこの差戻し審で無期懲役を勝ち取れようが負けようが、別の裁判にまたのこのこ出掛けて同じような非常識な事を続けるのだろう。まるで「革命はすべてに優先する」と唱えて同胞を何千万人も殺戮した毛沢東の幽霊を見ているようだ。)
またこの点では、現在の犯罪事情にそぐわなくなっている少年法も大きな問題だと考える。

一般市民に大きな負担とプレッシャーを背負わせる裁判員制度に、オレは基本的に反対でそれよりも裁判官に社会教育をする方が先だと思うのだ。何しろ日本は開拓時代のアメリカ合衆国ではないのだから。(保安官がストーカーした上にキャバクラのネーちゃんを拳銃で射殺しちまう国だしな)
でもこの事件は裁判員が裁くべき事例だとオレは愚考するのだ。