貧乏人の負け惜しみ

最近再認識した事がある。それは、
フェラーリのロードカーとは、レース(特にF−1)へ注ぎ込む莫大な資金を捻出する為に、実際はありもしない技術を寄せ集め、そこに『レースでのトップコンテンダーの一員』という魔法の粉を振りかけ、まともな神経と身体能力ではとても扱えず、唯一凡人に許される『フェラーリらしさ』は、ストレートでの官能的なエグゾーストノートとある回転数から上でだけ味わえる加速感、そして『こちとらシャレにならねえ程の大枚はたいてんだからな』という所有する満足感だけで出来ている。」という事だ。

確かにどう逆立ちしたところで・家屋敷を売り払っても買ってそれなりに維持して行けるのはディーノ246GTの中古がいいところだろう。それは素直に認める。

だがフェラーリのロードカーに本当に価値があるのかどうかはかなり怪しい。例えば12発を搭載した「正統派フェラーリのフラッグシップ」である612スカリエッティや599が、まともな人間が一般路面でその実力の60%も使えるのか?
あるいは蔑称「スモールフェラーリ」と呼ばれるV8シリーズの「F−1に自動車のボディを載せた」とも言えるトリッキーかつピーキーな操縦性が普通にクルマと呼べるのかはかなり微妙だと思う。(しかも最近のフェラーリはゴルフバッグが積載出来る事をかなり重視していると聞く)

フェラーリに乗ってゴルフしに行くの?バカじゃねえの。


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